レポート・取材
レポート:NF特派員 うらら(安竜 うらら)
取材:音楽評論家 萩原健太
プロフィール(レイ・チャールズ)
- 1930年アメリカのジョージア州生まれ。盲目の歌手・ピアニスト。2004年73歳で亡くなる
- 緑内障により7歳で視力を失う
- 1950年代前半から頭角を現す
- ソウルミュージックを作り出す
レイ・チャールズが生み出したもの
- ゴスペルとブルースを融合させた曲
- ゴスペル(宗教音楽)に俗っぽい歌詞を入れた
- 当時、悪魔の音楽と言われた
- 目は耳にある(レイ・チャールズ)
- ゴスペルは讃美歌というよりも明るく楽しみながら歌うもの。誰かがリードをとって歌い出すと全員が手拍子を取り、声を合わせて歌うもの。そのニュアンスをコール&レスポンスとして取り入れる
- レイレッツという女性コーラスをつける
- アトランティックレコーズに所属
- 敬虔なものと不敬なもののミックス
- 私生活ではドラッグに溺れる
- 更生施設に入ったりしてる
- マイケルジャクソンをプロデュースしたクインシー・ジョーンズと知り合いだった
- レイチャールズ初のインストゥルメンタルのヒット曲
- アレンジはクインシー・ジョーンズ
- レイチャールズのジャズピアノが光る曲
- イギリスでもヒットした曲
- コーラスはレイレッツだった
- ABCレコードに移籍
- カントリーミュージックに接近する
- カントリーとポップスを融合させた曲
- レイチャールズのカントリーアレンジが白人たちのカントリーに影響した
- 黒人がカントリーを歌うというスキャンダラスさがあったが、できた音楽ですべて説得した
- レイチャールズがカバーした
- 代表曲となる
- ジョージア州の黒人差別に反対して、ジョージア州主催のコンサートをキャンセルしたためジョージア州から追放される
- レイチャールズの偉大さが認められて、後にジョージア州の州歌になる
- キャリア初期のヒット曲
山口一郎さん語録
ルーツから逃れることはできない。その感覚っていうのは、どのミュージシャンにも、いま現存しているミュージシャンには必ずルーツがあって、そのルーツの中から自分の音楽を生み出していくっていうのは必ずあるんですけど、なんかどこかそのルーツっていうものって、先に進んでいくと忘れがちになるというか、なんか自分の中にもしっかりあるだろうと、最初からあるものだとして、なんか忘れていくものなんだけども、レイ・チャールズってけっこう明確で、なんかこれとこれを混ぜるとか、これとこれは自分だったらうまくやれるとか、つまり混ざり合わないものを混ぜ合わせるとき、その混ぜ合わせ方っていうのがセンスだったりアイデンティティになるのかなと思ってて、なんかこう、簡単に言えばおいしいカレー。カレーを作って次の日食べるのにまたつぎ足して、なんか違う具を入れて煮込むとまた違う味になるけど、もともとの味が残ってて、新しい味も加わって、なんか違うカレーになるみたいな。それがまた少なくなってきたからつぎ足すのに違う違うカレーを混ぜてみたいな。なんかこういろんな味が混ざってきてオリジナルになっていくっていうのは、すごく自然だし、この時代だからこそなしえたことなのかなという気がする。僕らは今やろうとすることは、すでに煮込まれて煮込まれて出来上がったものを自分の中にルーツとして持ってたりするから、それをさらに混ぜ合わせていくのって、結構センシティブというか簡単ではないというか、ただ単に学術的に音楽的に論理的に混ぜるっていうことはなかなか難しいというか。より感覚な部分が出てきているので。なんかそういう部分では、このレイ・チャールズの時代にレイ・チャールズがなしえたことっていうのは、本当僕らにとっての教科書みたいになってるしある種、祖ですよね。
感想
レイ・チャールズの名前はよく聞くけど、どこがすごいのか、今回の放送を聞いてよくわかった。ゴスペルとブルースを融合したり、カントリーとポップスを融合させた、融合の達人だった。当時のアメリカでリアルタイムに聞いていたら、その偉大さをもっと感じられただろう。