レポート・取材
レポート: デミ (井手美穂)
取材: 林 剛 (音楽ジャーナリスト)
結成
- ギタリストのナイル・ロジャース、ベースのバーナード・エドワーズ、ドラムのトニー・トンプソンによりニューヨークで結成
- ジャズ出身の腕利きミュージシャンとしてスタジオミュージシャンの裏方の仕事をしながらシックのアイデアを固めていった
- 1977年デビュー。ディスコブームの頃
- 都会の洗練されたサウンドをコンセプトとする
- シック (Chic)の意味は、「上品な」「垢抜けた」という意味のフランス語
アルバム1枚目のころ
- ファーストアルバム『ダンス・ダンス・ダンス』は50万枚売れた
- ニューヨークのファンクを意識して作成
- コンセプトを先に決めて活動
- 3つの要素 ①メンバーがジャズをバックボーンに持っていた ②ニューヨークのファンク ③フランスっぽいお洒落さ
アルバム2枚目のころ
- 2枚目のアルバムは200万枚売れた
- ビルボードチャート1位
- ナイル・ロジャースはファンクでは大きな音を出さないことをモットーとしていた
- 少ない数の音でコードを作っていた
アルバム3枚目のころ
- 1979年に3枚目のアルバム Risqué (リスク)リリース
- 音楽的評価を決定的にした
- わざと匿名性を持たせるように作ってた
- ヒップホップの歴史的一曲シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」にフレーズが使われる
その後
- ナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズプロデュース業に従事する
- 同じアトランティックレコーズ所属のシスタースレッジをプロデュースする
- デビッドボウイをプロデュース
- マドンナをプロデュース
- 全米チャート1位
1980年代
- ナイル・ロジャースがプロデュースで活躍
- ドラムのトニー・トンプソンがセッションドラマーとして活躍
- ディスコ排斥運動の影響でシックの活動休止
1990年に再結成
- 1996年、日本武道館と大阪城ホールでライブ
- ライブから二日後、バーナードが日本で亡くなる。43歳。ナイルがモーニングコールに応えないバーナードを心配して部屋を訪れたとき発見。ガンだった
- ナイルは哀しみで活動休止
- ナイルは再び日本に来たときに、シックの活動しなきゃと思った
- 2003年にドラムのトニーが亡くなった今でもシックの名前で活動している
再注目
- ナイル・ロジャースのカッティングが再び注目を浴びることになったのが2013年のダフトパンクのアルバム「ランダムアクセスメモリーズ」
- 2010年代、EDMで電子音楽が流行している中である種カウンターとして出てきた
- ナイルロジャースのギターのカッティングが注目された
- フィーチャリング ファレル・ウィリアムス&ナイル・ロジャース
- グラミー賞5部門受賞
- 最近の活動
感想
ギターのカッティング美しすぎるな。CHICの特集してくれなきゃ、この素晴らしさに一生気づかずに生きてたと思う。本当に紹介してくれてありがとう!