網走で思い浮かぶのは、刑務所と小説家の安部譲二ぐらい。テーマは「“最果ての地“網走は“理想の地“」ということでした。
タモさん一行はまず刑務所を訪れます。この刑務所は当時は最先端で、ヨーロッパの近代思想から天井にガラスを使い明るくしたり、暖房を囚人の部屋に行き渡らせる工夫もしたりしていたようです。そもそも網走に刑務所を建てたのは、明治時代に網走から北見峠まで163kmの道路を作るために労働力が必要だったからで、1200名も囚人がいて、200名が亡くなったと言うから、悲惨なものだ。
他には網走は天然の良港で、アイヌ語のチパ・シリ語源説や岩礁をくりぬいてドックを造り、ケーソンという防波堤を作るのに必要なものを作っていることが紹介されていた。
最後に網走は縄文土器とは違う縄文がない土器の発見から、オホーツク文化に属していることが分かり、オホーツク文化の南の最果てと言えることだった。オホーツク文化なんてものもあるのね。初めて知りました。縄文時代の北国もさぞ寒かっただろうに、どうやって寒さを凌げたのか、驚くべきことだ。